東日本大震災の被災地を巡る。【後編】
こんにちは、おくとです。
"東日本大震災の被災地を巡る。【前編】" の続きです。
仙台で一夜を明かし、
次に向かった場所は "福島県南相馬市"。
理由は、以前テレビで見たことがあったから。
たったこれだけの理由で
何の情報も得ずに行ってみることにした。
南相馬に到着後
例のごとく、役所に突入。
今思えば、何のアポイントもとらずにいきなり訪れる
"迷惑なやつ"
だったと思う。
そんなやつにも
またしても丁寧に対応して下さった職員さんたち。
ほんとーに感謝です。
南相馬の現状を知り、
"若者離れ" と "農作物の風評被害" について教えられた。
若者離れは、今回訪れたほとんどの地域で問題化していた。
農作物の風評被害については、原発事故のあった福島県こその問題。
特に海外では福島県産の表記がされていると買い取ってもらえないとのこと。
職員さんに南相馬のボランティア施設を紹介してもらい
行ってみることに。
そこでは、
ボランティアの受け入れや活動援助を行っており、
過去には
広島にある同じ大学から来た人もいたらしい。
ボランティア事情について伺ったのち、
ある人を紹介してもらった。
その方は "浪江町" に住んでいるらしい。
当時は無知すぎて
浪江町のことを全く知らなかった。
話をきいてみると
どうやら原発立ち入り禁止規制が解除されたばかりの町らしい。
その方に浪江町の民宿を紹介してもらい
とにもかくにも行ってみることにした。
ってなわけで浪江駅到着!
民宿まで歩き出すと
まだ当時の様子が色濃く残っていた。
民宿では、
住居人のみなさんと
撮影できていた映画監督と一緒に
お酒を飲み交わした。
翌日。
自転車を借り、
浪江町を散策してみることにした。
海沿いにいきたかったのだが
通行止めに阻まれなかなか進めず。
試行錯誤しながら道を突き進むと
そこにはもう道はなかった。
津波について
何回も話は聞いていたし
写真もたくさんみてきた。
実際被災地にも足を運んできた。
だけど、
ここまでまざまざとした津波の爪痕をみるのは初めてだった。
この日を最後に僕は大阪へ戻ることにした。
帰りのヒッチハイクでもたくさんの人にお世話になった。
北海道から東京までヒッチハイクをしていた
オーストラリア人のお姉さん。
連絡一本で駆けつけてくれ、
家に泊めてくれた社長さんご家族。
目的地よりも遠くの名古屋までわざわざ送ってくれたうえ、
ひつまぶしをごちそうしてくれたお兄さん。
朝ごはんでご一緒してごちそうしてくれたドライバーの方。
名古屋城を一緒に観光してくれた韓国人のお姉さん。
他にもたくさんの人のやさしさによって
この旅を終えることができた。
本当にありがとうございました!!!!
受けたご恩は少しづつ
すこしづつ返していきます。
"また逢いたい人"
ができた素敵な旅でした。
ではでは。
また明日!
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