東日本大震災の被災地を巡る。【前編】
こんにちは、おくとです。
盛岡で一晩過ごしたのちのことを書きます。
前提として、
これから書くことは個人の体験なので
鵜呑みにはせずに、気になる人は
是非現地に足を運び自分の肌で体感してください。
尚、できるだけ感想を書くことは避けています。
盛岡を出発し、ある場所へ向かうことにした。
"宮城県気仙沼市"
被害が大きかったと聞いたことがあるから。
何も情報を知らなかった僕は
たったそれだけの理由でそこへ向かった。
到着後、とりあえず役所にいってみることにした。
突然の訪問を迎え入れてくれ、職員さんと対話することができた。
気仙沼の一番の悩みは
"若者離れ" だそう。
震災で流出した人口(若者)が戻ってこないらしい。
ある程度の情報を仕入れ、町を歩く。
どこも
かさ上げ工事が行われているという感じ。
港にいってみると
やはり工事中。
震災から数年たっても
そこには深い爪痕があった。
近いという理由で
岩手県陸前高田市にある "奇跡の一本松" を見に行くことに。
海岸沿いに続く道の風景。
そこにあったはずの町は消えていた。
しばらくすると
殺風景の中、
確かに一本だけ松が存在していた。
後ろの建物をつぶすほどの津波の威力に耐え抜いた
たった一本の松。
しかし、
海水のダメージにより既に "死んでいる" のだそう。
死してもなお
立派に立ち続ける松にむかって
そっと手をあわせた。
一本松をあとにし、
うすうす感じていたあることに気づく。
「あ、もってたお金ぜんぶ使い果たした。笑」
そもそも、あまりお金を持ってなかったので
まぁ当然のこと。
仕方なくヒッチハイク開始。
ものの数分で車が止まる。
そのまま仙台を目指すことにした。
それにしても、
東北の人が優しすぎるのか、ほっとけない主義なのか
今まで旅したどの地方よりもはやく
車を乗り継いでいくことができた。
東北の人の温かさに触れました。
ほんとーに感謝!!
仙台に向かっている途中、
「どうせなら君を案内したい。」といわれ、
のっけてくれたおっちゃんの思い出深い場所に案内してもらった。
松島や石巻、、、
中でも一番印象深かったのは
"野蒜駅"
おっちゃんが昔つかっていた駅で
この近くで育ったのだそう。
住んでいた町や
思い出のある小学校はすべて
津波に飲み込まれた。
唯一残ったのがこの駅なんだ。
そう言いながら
廃駅になったプラットフォームを眺めて
少しの涙を流したおっちゃんの姿を
忘れることはないはず。
すっかり夜になり、仙台到着。
お金を入手した足で向かったのは
牛タン!!!!
仙台といったらやっぱこれよね。
この日の初ご飯を
贅沢にいただくのでした。
きょうはここまで!
後編はまたあした書いていきまーす
ではでは。
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